もう少しだけ旅させて

旅日記、のようなもの(2012-16) 基本一人旅 旅に出てから日本語を使わないので、忘れないように。ほとんど本人の備忘録になりつつあります。情報は旅行時のものです。最近はすっかり懐古モードでひたすらノスタルジーに浸っています。

’04南米 その1 パパブッシュ死去により旅立ちの記憶が呼び起こされる

www.bbc.com

 

ブッシュ元大統領が先日亡くなった。もちろん自分とは何も接点の無い人なのだが、心の中に感じる僅かな引っ掛かりが気になり記憶の深層を探ってみた。そしたらありましたね、時は2004年10月、3か月の南米旅行、アメリカ国内での中継地はテキサスのヒューストン、そう、ジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル国際空港でした。忘れてた。

 

という訳で唐突ですが過去旅の掘起こしが再び始まります。備忘録になってしまうかも。

 期間;2004年10月~05年1月。

 訪問国;エクアドル、ペルー、ボリビア、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイウルグアイ

 ※この3か月という期間は失業保険の待期期間を丸々利用したものだったような…のは気のせいでしょう(爆) 

 

’98、’99年の旅を終え暫くの間まともに労働に勤しんだのち2003年に再び旅立った事は以前にちらっと言及しました。その旅は1年近くにも渡るもので、これは本当に面白い体験だったのですが、撮った写真はすべてリバーサルフィルムで約1,200枚(正確に数える気にならない)、デジタル化は今のところ全く手付かずです。こんな枚数どうしよう、というのが本心です。当時既にデジタルカメラは所有していたのですが、記録メディアの容量も小さく大量のデータの保存については術は無く、長期組はほとんど使用していませんでしたね。その後あまり時間を空けずに出掛けた’04、’05の旅行について先に挙げてみようかしらん。まあ気分次第ですけどね!

閑話休題。購入した航空券がコンチネンタル航空のチケットで、米国内の中継空港が上記ジョージブッシュ空港だったのです。南米日本間の直通便というものはありませんでしたので、どのエアでも米国内の何処かで乗継をする必要がありました。(今でも同じでしょう?)単なる乗り換えなのに米国の場合入国審査が行われるのが理解できませんでしたが、そういうシステムだったので従うしかありません。確か面倒な書類を提出した後、入国管理官は、僕が南米行くのにスペイン語ができないというと鼻で笑いやがったのは今でも憶えています。憶えているといえば建物に入った途端漂ってきたのはポップコーンのカラメルの甘い香り。アメリカだなあと感心したのか笑っちゃったのか今ではどうでもよいことなのですが、多くの国や地域を訪れたのにもかかわらず、アメリカに足を踏み入れたのは結局この旅行時のこの空港だけに終わってしまったのは、何かの因果に他ならないと思います。

 

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写真で見ると何かチョコレーットっぽい(涎)

 

テキサスが輩出した政治家の偉業を称えるコーナーが空港施設内の一角にありました。息子じゃありません、パパの方です。